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———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- おれが目指したい理想の会社は、働いているみんなが充実した日々を送って、それぞれがプロの仕事人としての自覚をもって、自分の仕事に誇りを持って、それだけでなく、もっと良い仕事ができるように自己研鑚して、、、自立した、いわゆるプロフェッショナルな人材の集まりにしたいと思っていた。 世の中には、仕組みで稼ぐタイプの会社(誰がやっても同じ結果がでる)と、人で稼ぐタイプの会社があると聞いた時に、、ウチは、人で稼ぐタイプの会社であるし、その方向を突き詰めていきたいなと思った。その割には、仕組み化するとか標準化するとかいう事ばかりやっているように見えるかもしれないが、結局はバランスだと思っているので。仕組みを強くしたら、その強い仕組みを乗り越える人材が出て来てほしいし、人材の能力が強くなったら、その強さを仕組み化できるようにしていく。そういったバランスを崩しながら、保とうとしながら、会社は成長していくんだと思う。 なので、みんな、一人一人が、それぞれの分野でのプロフェッショナルになって欲しいし、プロの仕事人としての自覚を持って欲しい。 でも、最近、なんだかなぁ〜と思うことが、ポツリポツリとある。 例えば、仕事をしていて、、自分がどう評価されるのかをすごく気にしたりしてる人とか、、、自分が成長できるかどうかばかりを気にしている人とか、、 仕事とは、他人のためにするものであって、自分のためにするものではない。 他人のためにする、他人の問題を解決するからこそ、その他人から対価としてのお金をもらえるわけで、自分のために、自分の問題を解決しても、それでお金がもらえることはない。 それなのに、考えの中心を『自己』に置いてる限りは、プロフェッショナルとは言えないし、プロフェッショナルには永遠になれないと思う。技能的な問題じゃない。プロに必要なのは、技能的なものだけじゃない。他人は、つまり顧客は、プロを雇うのに、問題解決を期待しているのであって、その人の技術を期待しているのではない。よくAppleが採用している技術が、最先端最高峰のモノじゃないみたいな話に似ている。顧客の問題解決するために、必要十分な技術を使っているわけで、「ウチはこんなスゴいこともできる」と見せびらかすことに意味はない。昔、昔、大昔は、HP制作会社は、フラッシュムービーとかをHPのトップに入れることで高額な制作費をチャージしていたけど、顧客の何の問題解決にもなってない。結果、そんな業者はどっかに消えてる。(昨今のARの技術とかも似たものを感じる) プロとして、大切なのは、顧客の問題解決をすることであって、それによって、自分がどうなろうが、全く関係ないはず。顧客の問題解決を自分だけで、できなかったら、チームに助けを求めらり、社外に助けを求めたりして、最終、問題解決をやり切るのがプロフェッショナルというもの。 なので、自分の成長や自分の評価ばかりを気にする人は、実は成長や評価から最も遠い人たちになる。プロ意識が欠落しているので。 なんでかなぁ〜と思うのは、そういう『自分の成長』や『自分の評価』を過度に気にする人が、昔より、ポツポツ目立って来てるような感じがするからだ。これは、おれが出したメッセージに間違いがあったのかもしれない。 会社は学校じゃないし、顧客は実験をさせてくれてるワケじゃない。もし、会社が学校で、顧客は実験させてくれてるならば、逆にお金を払わないといけない。大学だって予備校だってセミナーだって研修だって、生徒が対価を支払っている。 もしかしたら単純に、平均年齢が若いってだけかもしれない。若い時は、誰だって、自分の事で頭がいっぱいなもの。なので、自分の事が気になって仕方ないんだろう。他人からの評価という承認欲求が人一倍強いのも、若い人だしね。それが、いろんな知識を増やすにつれ、自分が一人で生きてるんじゃなくて、いろんな人に支えてもらって生きてるんだなって事が実感できてくると、、、他人のことへ焦点が向かうのかもしれない。(子供ができると自分の事より子供の事が優先になったりするし) ダラダラと書いてしまったが、みんな、ベーシックスにもある、『プロフェッショナル』ってのは何か、、何を気にして、何を気にしないのか?ってのをあたらめて考えてみてほしい。プロフェッショナルとは何か? プロとして求められるのは、自身の成長ではなく、依頼してきた顧客の問題解決。そして、難しい問題、要求を何度も解決していくうちに、自分自身は自然と成長しているもの。 誰のための仕事か? 己のための仕事じゃない。 誰のための仕事か? それを思い描いて、その人のためにできる限りの仕事をしよう。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- ベーシックスには、『真摯さ』という言葉がある。これが一番最初に来てるわけだけど、そもそもこれ、どういう意味か、難しい言葉でもある。ま、基本的には、誠実さとか嘘をつかないとか、もちろんそういう意味はある。だけども、それを『誠実さ』『正直』という言葉にしてないのは、ちょっと自分で考えてほしいって意味もあるんだ。 で、真摯さってのは、ウソつかないとかそういうだけじゃなく、仕事に対して、ひたむきに、真剣に向き合うという意味もあり、その意味合いの方が普段は強いと思う。 個人的におれは、仕事してて一番腹が立つときは、部下が仕事ができない時や、ミスをした時ではない。誰だってミスはするし、能力や技術が未熟な時は、十分な貢献ができない。それは誰にでも当然のこと。でも、そうじゃなくて、やろうと思えばできるのに、その仕事を『真剣に仕事をやってない』のを見た時、正直言って無性に腹が立つ。 どれだけ技能が高くても、どれだけ経験があったとしても、目の前の1つの仕事に対して、いい加減な仕事をあげてくると、めちゃめちゃ腹が立つし、この人に任せてもムダかな、とか、なんなら一緒に仕事をしたくないな、、くらいのレベルまで思う。一方で、どれだけ技術が未熟だったとしても、その人の範囲の中で精一杯やってくる、、、それなら何とも思わないし、いろいろ教えたくもなるし、応援したくもなる。 だって、技能が未熟だって、本人にできる範囲を本人が全力でやって、残りは先輩とか、他のメンバーがカバーしてあげればいい訳だし、仕事ってそういうもんだからね。そして、そういう仕事を続けていれば、その人はきっと何年か後には素晴らしい技術を身につけていい人材に育ってる。間違いない。 何年か経験を積んで、仕事がある程度できるようになったとしても、いい加減な仕事をしてたり、手を抜いてたりしたら、それ以上には伸びない。どんなに簡単な仕事でも、「少しでも前回よりも良くしよう」と思って全力で取り組むこともできるし、「まぁ、いつもやってるからこれくらいでいいだろう」とすることもできる。 だけども、言っておきたいのは、後者のような仕事ぶりだと、何年やったとしても、何回やったとしても、全く成長には繋がらない。当たり前だわ。まさか、何回も同じ事やれば、年数が経過すれば、自動的に技術や能力が伸びると思ってないよね? 筋トレと同じで2キロのダンベルを何回か上げたところで、それ以上の筋力はついていかない。筋力をつけるには、自分がもうしんどい…と思まで負荷をかけないといけない。そして終わった後にはクタクタになって、、そして休息と共に筋肉は増強する。仕事も同じで、「もうしんどい」と思うレベルまで、真剣に一つ一つの仕事に向き合わないと能力や技術も、伸びていかない。 だから仕事に対して真摯じゃない、真摯に向き合ってない人は、残念ながら、何年やろうがたいして成長しない。一方で、一つ一つの仕事に真摯に向き合ってる人間はあっという間に成長していく。同じ時間を過ごしていたとしても、内容が全然違うんだよね。 時間をたくさんやればいいってもんじゃない。量をこなせば成長すると思ってるだろうが、それだけじゃダメだよ。ひとつひとつの仕事に集中して、精一杯やって、工夫して、そして終わった後には、振り返って、何が良かった何がダメだったかを記録する。そして、その経験を次の仕事に生かしていく。そういった繰り返しをしないと、漫然と、何回やっても何年やっても結局同じところにいるだけだからね。 仕事に真摯に向き合えない人、真剣に向き合えない人はある意味、ウチではちょっと可哀想な存在になる。 なぜなら、うちは年功序列じゃなくて、成果主義なので、出来る人にはどんどん重要な仕事が任されていくが、どれだけ年次があっても、能力的に成長してない人には、重要な仕事が任されない。ま、端的に言うと、ぼーっとしてるうちに真剣にやってる後輩にどんどん抜かれていくという事。それに、本人が気づかないで、どんどんどんどん抜かれていく。気が付いた時にはもう何年間も手遅れになってる、、っていうこともある。そして真剣にやることを忘れてしまった人は、仕事の基準が下がってるので、その時の自分で真剣にやってるつもりでも、他の人から見ると、どえらい基準が低いというようなことが起きてしまう、、、 ま、ぶっちゃけ才能のあるなし、地頭の良し悪しなども、もちろんある。けど、結局それも何年間もの積み上げにはかなわない。どれだけ地頭が良くでも、どれだけ才能があっても2年、3年で転々を仕事を変えていたら、何も積み上がらない、本を読んでて、第一章、第二章くらいまで読んだら、他の本に移る、、、なんて事を繰り返してたら、どれだけポテンシャルが良かったとしても、ま、その道で、10年積み上げてきた人間とかには、絶対敵わない。 玉琢かざれば器を成さず と言う言葉がある。これ、おれが高校生の時に、高校の英語教師に言われて心に残ったてる言葉。その頃、おれは全くと言っていいほど勉強してなかった。でも、ある程度はできたんだと思う。そんな不真面目な生徒だったおれに先生が言ってくれた。「そうか。おれは才能をムダにしてるのか」と、思った。(現実的には才能があったかどうかは疑わしいが、そう言ってくれた言葉が励ましになった)それから、自分を「磨かないとな」と思って英語の勉強だけはしてたのを覚えてる。(志望校が決まるまでは、他の教科は勉強しなかったが、どこ受けるにしても出てくるし、とりあえず英語だけはやっとくか、、、みたいなノリだった) 30年近く前の、先生のチラッと言った一言だが、、、おれの人生に大きく影響を与えてくれた。 自分が「玉」だと思うなら、毎日必死に磨き続けないといけない。 いつになっても、目の前の仕事を前回よりも、良いものにするにはどうすればいいか?ってのに終わりはない。これくらいでいいや、と諦めたらそこで終わり。それは仕事を諦めてるんじゃなくて、自分の人生を諦めてるようなもん。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- 顧客を見て仕事をしよう!って言ったら当たり前だと思うかも知れない。だけども、ホントに顧客を見て仕事をできてる人はそんなに多くないんじゃないかと思う今日このごろ。 ちょっと前の評価会議なんかでもそうだった。あるマネージャーが、すごく良い部下がいるので昇進させるのはどうか?と聞いてきた。が、その人の事を周りが高く評価している話はあまり聞いた事がない。おかしいなと思ってヒアリングすると、その彼は、上司を見て仕事をしている。なので、上司からの評価はすこぶる高い。一方で、まわりからの評価が高くないのは、その人が明らかに、上司を見て仕事をしているのが分かるからだ。 評価が高い人は、顧客を見て仕事をしてるんだよね。そして、評価が分かれる人ってのは、ホントの意味で顧客を見ていない。もちろん、ほとんどの人は、目の前の仕事を一生懸命がんばってる。これは言える。ただ、そんな中でも、、評価が分かれるのは、一生懸命さが、顧客ではない方を向いているから、分かれたりするんだよね。 ここが少し、難しいところなんだけど。 エンドユーザーに対して仕事をしている時は、エンドユーザー=顧客なので、その相手に、どうやって貢献するかってのを簡単に考えることができる。ところが、仕事ってのは、いつもエンドユーザーに対してだけするものではない。大抵の仕事ってのは、チーム、組織で分担してやるもの。なので、自分のタスクがエンドユーザーに直接届かない、直接、評価されないなんてことも多々ある。その場合、誰が顧客なのか?と言う事を考える必要がある。 自分の仕事は、誰のための仕事なのか? それを、マジで考えると、視座が一気にあがるし、仕事に対する姿勢や優先順位付けも変わる。これをしっかり考えてないと、単純に「目標設定したから、、、」とか「上司に評価されるから、、、」とかいう軸で、判断してしまいがち。 もちろん、それはそれで間違いではないし、それに対して、一生懸命仕事するのは、ま、ふつーで考えれば、良いことだとは思う。だけど、もっと良い仕事をするためには、『ホントはこの仕事は誰のためにやってんだ?』『誰の役に立つんだ?』って事を考えないといけない。 例えば、アシスタント業務をするのは、誰のためにやるのか?誰の役に立っているのか?だいたい、みんな最初は、アシスタント業務をやると思うけど、複雑だし大変だし、設定だし、、、と思うかもしれない。でも、その仕事は、誰の役にたっているのか?もちろん、自分より専門技能が高い人(大抵、先輩社員)が、その専門技術を活かして、より大きな成果を出すためだろう。その先輩の役に立つ、手助けをすることによって、その人も、その大きな成果の一部に貢献しているということになる。仕事ってのは、そういうもの。 ところが、顧客の事、顧客に役立つことではなくて、自分の事ばかり考えているとどうなるか?自分のスキルアップをしたいがために、こんな業務はやりたくない、、、みたいな事を言い出すことになる。 もちろん、自分自身が仕事の技能を上げることは、とっっても大切なことは間違いない。でも、自分の仕事が誰の役に立っているのか?どんな貢献ができるのか?そういった視点の欠けている人間がどれだけ擬能を上げても、大した仕事はできない。よくよく考えて見て。ソニーとかシャープとかに居る技術者は、めちゃめちゃ技能があるのは間違いないっしょ?だけども、顧客を見て仕事をしていないから、ここ数十年、負けっぱなしよね?同じことなんよ。おれらも。みんなも。顧客が見えなくなったら、どれだけ技能が上がっても、成果は上がらない。 誰が顧客なの? 誰の役に立つの? 例えば、おれがマーケ部門で、スクールの講師をする時、顧客は明らかに、エンドユーザー、外部のお客さん。商品製作をする時、そこで貢献できるのは、お客さん。広告を作るとき、セールスビデオを撮るとき、全部、顧客は、お客さん。これは分かりやすい。 だけど、一方で例えば、おれが経営者として、会社の問題に取り組む時、ビジネスガイドを作る時、制度を改める時、、、顧客は誰だと思う?そりゃ、もちろんエンドユーザー、お客さんじゃないよね。顧客はもちろん、この会社で命運を共にしている社員、従業員、つまりは、みんなって事になる。ポジションとしては、もちろん社長ではあるけど、顧客は、社員になる。だから、社員の評価が低ければ、社長、経営者としての仕事ができてないってことになる。経営者の仕事は、商品サービスを作って、顧客に販売してその価値で貢献すると言うよりも、、、社員が楽しく働けて、技能を伸ばせて、その技能でもって良い商品を創って、良いマーケティングで販売して、貢献できるようにする、、、という事の方が大きい。 つまり、みんなも、コンテキスト(状況・立場・役割)によって、誰が顧客か?と言うのは、変わるもんなんだってこと。そして、その立場、立場、状況、状況、仕事の一つ一つにおいて、顧客が誰なのか?誰の役に立つべきなのか?ということを考えられるようにしよう。ずっと、考えていると、それが自然な、価値観とも入れるレベルにまで昇華していくよ。 そうすると、彼は視点が良い、視座が高いというような感じになる。 ・上司が顧客の時もある。 ・先輩社員が顧客の時もある。 ・他部門の人が顧客の時もある。 ・エンドユーザーであるお客さんが顧客の時もある。 ・あるいは、部下が顧客の時もある。 顧客に貢献していない目標をいくら達成しても、影響力は大きくならない。自己満で終わる可能性もある。 なので、何か、おかしいな、、と思ったら、立ち止まって考えよう。 自分の顧客は誰なのか? この仕事は、誰の役に立っているのか?