———————————————————————————————-
このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。
———————————————————————————————-
ブログの更新情報を
採用Facebookページで配信中
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- クライアントは人生かけて商品を創っている。 みんなにとっては、ただの一商品、一コンテンツに過ぎないかも知れない。だけれども、クライアントはそのコンテンツ、情報、知識を生み出すために、どれだけ時間とエネルギーをかけてきたのか?考えたことがあるか?自分が創り出したコンテンツ、は作品と同じ。子供のように愛情を感じるもの。そんな想いを想像したことあるか? 先日、あるクライアントに厳しい注意をもらった。と言うのも、対応があまりにもずさんだと。当該クライアントとのやりとりも雑だし、商品の販売を急いだのか、契約書の締結も、商品の収録、販売後に、ホチキス留めの適当なものを渡されたと。そこそこ売上がたったものの、販売後に見た契約書には固定金額でかなり安いと。(しかもその商品の中身には、許諾のないコンテンツが使われていて、著作権は弊社にありますと) まず、契約書を後から交わすなんてことは、普通はあり得ない。相当な、信頼関係がある仲じゃないとできない。(それでも危ない)相手は、騙されたと思うのが当然で、詐欺で訴えられてもおかしくない。 ま、契約とか、法律とか、そういう問題は最低限の話としてある。とは言え、契約だから、合法だから、社内ルールでOKだから、何でもOKってわけじゃない。 人としてどうなのか?道徳的にどうなのか? ということだ。単純に、仕事相手への気遣いがあるのか?相手の気持ちを考えられているか?という人として常識的なことが、契約やルールよりも、もっともっと大切なことだ。今回の件も、契約書を結ぶのが後だったとしても、内容に相手が完全に合意していて納得済みで、対応もよく気持ちよく仕事ができていれば何の問題もなかったろう。 つまり、何が言いたいかというと、段取りや手違いが悪かったのではなく、人として相手に気遣う、道徳心、モラルの問題だ。 信頼というのは、築くのに何年もかかるけど、崩すのは一瞬だ というのをみんなも聞いた事があると思うけど、この話で良く分かるだろう。このクライアントは、もちろんウチから商品を出したいとは思わなくなるだろうし、「あの会社はこういう対応する最悪な会社」という印象を強く持つだろう。そして、その印象を覆すには、数年は間違いなくかかる。どんな事でも、酷い事をした当人はスグに忘れてしまうが、された方は、絶対に忘れない。最悪は、そのことを周りに忠告するようになる。「いや、あの会社とは付き合わない方がいいよ」と。 みんな個々人の対応は、個人ではなく会社の対応だ。社会的にそうなんだよ。 どれだけ先輩が、良い仕事をして信頼を積み重ねていっても、つまらないことで信頼はジェンガのように一瞬で崩れてしまう。結果、そのクライアントの先に居るはずの多くの顧客、あるいは他のクライアント候補を、失うことになる。 ただ、腹立たしいのは、クライアントを失うとか顧客を失うとか、そういった損害ではなく、、、礼儀や道徳の問題 ウチのクライアントと言えば、ほとんどの人がみんなのお父さんと同じ年代か、それより上の年代だ。もし、おれの父親が、今回のような対応を受けたら、マジで、怒りしか感じない。もし、みんなの父親が、20代の若造に舐めた対応されたら、どんな気持ちになる? どれだけ頭が良くても、礼節や道徳に欠ける人間が、他人に影響を与えられるようになるはずがない。仕事ができてもモラルのない人間からは、どんどん人が離れていく(実際そういう人は、世の中たくさんいる)。顧客でもクライアントでも仕事仲間でもそう。相手に対する敬意や礼節をもった対応ができなければ、どんな関係だろうと、続けたくないと思われる。 この話、「へぇーそんなバカな事をしたやつがいるんだー」と他人事で済ませてないように。誰もがこうなる危険性をはらんでいる。自社の影響力が強くなり、態度が傲慢になり、自分より年上、目上の人に対する礼節を忘れて、ちょっと一歩、踏み外したらみんな同じ失敗を繰り返すだろう。 今、会社の業績はとても調子が良い。こういうときは、本当に緩みがちだから、みんなも気をつけるように! 以下、小学校や幼稚園で習った道徳だと思うが参考までに。孔子、孟子が説いた五常の徳。 五常(仁、義、礼、智、信) 仁:人を思いやること 義:私欲にとらわれず、道義を果たす 礼:敬意をもって人に接すること 智:感情的でなく理知的であること 信:心と言葉、行いを一致させ、信用を守ること ちなみに最後の「信」は、ベーシックスの最初に出てくる「真摯さ」というのとほぼ同じだろうな。仕事は、個人の頭の良さだけではできない。ま、個人事業主くらいにはなれるかも知れない。でも、事業を創って社会に大きな影響を与えるには、仕事は組織で、つまり人と人との関わりの中でやらなければ、何も達成できない。スポーツと一緒で、ロナウジーニョでも1:11だったら高校生にも敵わないよ。その人と人とを結ぶ、つながりの線こそが、信頼であったり信用であったりする。なので、信頼を得られないこと、信頼を失うことは、仕事でも社会でも致命的なことだ。 注意しよう。 自分はできている。と思っている人間が一番あぶないので。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- おれが目指したい理想の会社は、働いているみんなが充実した日々を送って、それぞれがプロの仕事人としての自覚をもって、自分の仕事に誇りを持って、それだけでなく、もっと良い仕事ができるように自己研鑚して、、、自立した、いわゆるプロフェッショナルな人材の集まりにしたいと思っていた。 世の中には、仕組みで稼ぐタイプの会社(誰がやっても同じ結果がでる)と、人で稼ぐタイプの会社があると聞いた時に、、ウチは、人で稼ぐタイプの会社であるし、その方向を突き詰めていきたいなと思った。その割には、仕組み化するとか標準化するとかいう事ばかりやっているように見えるかもしれないが、結局はバランスだと思っているので。仕組みを強くしたら、その強い仕組みを乗り越える人材が出て来てほしいし、人材の能力が強くなったら、その強さを仕組み化できるようにしていく。そういったバランスを崩しながら、保とうとしながら、会社は成長していくんだと思う。 なので、みんな、一人一人が、それぞれの分野でのプロフェッショナルになって欲しいし、プロの仕事人としての自覚を持って欲しい。 でも、最近、なんだかなぁ〜と思うことが、ポツリポツリとある。 例えば、仕事をしていて、、自分がどう評価されるのかをすごく気にしたりしてる人とか、、、自分が成長できるかどうかばかりを気にしている人とか、、 仕事とは、他人のためにするものであって、自分のためにするものではない。 他人のためにする、他人の問題を解決するからこそ、その他人から対価としてのお金をもらえるわけで、自分のために、自分の問題を解決しても、それでお金がもらえることはない。 それなのに、考えの中心を『自己』に置いてる限りは、プロフェッショナルとは言えないし、プロフェッショナルには永遠になれないと思う。技能的な問題じゃない。プロに必要なのは、技能的なものだけじゃない。他人は、つまり顧客は、プロを雇うのに、問題解決を期待しているのであって、その人の技術を期待しているのではない。よくAppleが採用している技術が、最先端最高峰のモノじゃないみたいな話に似ている。顧客の問題解決するために、必要十分な技術を使っているわけで、「ウチはこんなスゴいこともできる」と見せびらかすことに意味はない。昔、昔、大昔は、HP制作会社は、フラッシュムービーとかをHPのトップに入れることで高額な制作費をチャージしていたけど、顧客の何の問題解決にもなってない。結果、そんな業者はどっかに消えてる。(昨今のARの技術とかも似たものを感じる) プロとして、大切なのは、顧客の問題解決をすることであって、それによって、自分がどうなろうが、全く関係ないはず。顧客の問題解決を自分だけで、できなかったら、チームに助けを求めらり、社外に助けを求めたりして、最終、問題解決をやり切るのがプロフェッショナルというもの。 なので、自分の成長や自分の評価ばかりを気にする人は、実は成長や評価から最も遠い人たちになる。プロ意識が欠落しているので。 なんでかなぁ〜と思うのは、そういう『自分の成長』や『自分の評価』を過度に気にする人が、昔より、ポツポツ目立って来てるような感じがするからだ。これは、おれが出したメッセージに間違いがあったのかもしれない。 会社は学校じゃないし、顧客は実験をさせてくれてるワケじゃない。もし、会社が学校で、顧客は実験させてくれてるならば、逆にお金を払わないといけない。大学だって予備校だってセミナーだって研修だって、生徒が対価を支払っている。 もしかしたら単純に、平均年齢が若いってだけかもしれない。若い時は、誰だって、自分の事で頭がいっぱいなもの。なので、自分の事が気になって仕方ないんだろう。他人からの評価という承認欲求が人一倍強いのも、若い人だしね。それが、いろんな知識を増やすにつれ、自分が一人で生きてるんじゃなくて、いろんな人に支えてもらって生きてるんだなって事が実感できてくると、、、他人のことへ焦点が向かうのかもしれない。(子供ができると自分の事より子供の事が優先になったりするし) ダラダラと書いてしまったが、みんな、ベーシックスにもある、『プロフェッショナル』ってのは何か、、何を気にして、何を気にしないのか?ってのをあたらめて考えてみてほしい。プロフェッショナルとは何か? プロとして求められるのは、自身の成長ではなく、依頼してきた顧客の問題解決。そして、難しい問題、要求を何度も解決していくうちに、自分自身は自然と成長しているもの。 誰のための仕事か? 己のための仕事じゃない。 誰のための仕事か? それを思い描いて、その人のためにできる限りの仕事をしよう。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- ベーシックスには、『真摯さ』という言葉がある。これが一番最初に来てるわけだけど、そもそもこれ、どういう意味か、難しい言葉でもある。ま、基本的には、誠実さとか嘘をつかないとか、もちろんそういう意味はある。だけども、それを『誠実さ』『正直』という言葉にしてないのは、ちょっと自分で考えてほしいって意味もあるんだ。 で、真摯さってのは、ウソつかないとかそういうだけじゃなく、仕事に対して、ひたむきに、真剣に向き合うという意味もあり、その意味合いの方が普段は強いと思う。 個人的におれは、仕事してて一番腹が立つときは、部下が仕事ができない時や、ミスをした時ではない。誰だってミスはするし、能力や技術が未熟な時は、十分な貢献ができない。それは誰にでも当然のこと。でも、そうじゃなくて、やろうと思えばできるのに、その仕事を『真剣に仕事をやってない』のを見た時、正直言って無性に腹が立つ。 どれだけ技能が高くても、どれだけ経験があったとしても、目の前の1つの仕事に対して、いい加減な仕事をあげてくると、めちゃめちゃ腹が立つし、この人に任せてもムダかな、とか、なんなら一緒に仕事をしたくないな、、くらいのレベルまで思う。一方で、どれだけ技術が未熟だったとしても、その人の範囲の中で精一杯やってくる、、、それなら何とも思わないし、いろいろ教えたくもなるし、応援したくもなる。 だって、技能が未熟だって、本人にできる範囲を本人が全力でやって、残りは先輩とか、他のメンバーがカバーしてあげればいい訳だし、仕事ってそういうもんだからね。そして、そういう仕事を続けていれば、その人はきっと何年か後には素晴らしい技術を身につけていい人材に育ってる。間違いない。 何年か経験を積んで、仕事がある程度できるようになったとしても、いい加減な仕事をしてたり、手を抜いてたりしたら、それ以上には伸びない。どんなに簡単な仕事でも、「少しでも前回よりも良くしよう」と思って全力で取り組むこともできるし、「まぁ、いつもやってるからこれくらいでいいだろう」とすることもできる。 だけども、言っておきたいのは、後者のような仕事ぶりだと、何年やったとしても、何回やったとしても、全く成長には繋がらない。当たり前だわ。まさか、何回も同じ事やれば、年数が経過すれば、自動的に技術や能力が伸びると思ってないよね? 筋トレと同じで2キロのダンベルを何回か上げたところで、それ以上の筋力はついていかない。筋力をつけるには、自分がもうしんどい…と思まで負荷をかけないといけない。そして終わった後にはクタクタになって、、そして休息と共に筋肉は増強する。仕事も同じで、「もうしんどい」と思うレベルまで、真剣に一つ一つの仕事に向き合わないと能力や技術も、伸びていかない。 だから仕事に対して真摯じゃない、真摯に向き合ってない人は、残念ながら、何年やろうがたいして成長しない。一方で、一つ一つの仕事に真摯に向き合ってる人間はあっという間に成長していく。同じ時間を過ごしていたとしても、内容が全然違うんだよね。 時間をたくさんやればいいってもんじゃない。量をこなせば成長すると思ってるだろうが、それだけじゃダメだよ。ひとつひとつの仕事に集中して、精一杯やって、工夫して、そして終わった後には、振り返って、何が良かった何がダメだったかを記録する。そして、その経験を次の仕事に生かしていく。そういった繰り返しをしないと、漫然と、何回やっても何年やっても結局同じところにいるだけだからね。 仕事に真摯に向き合えない人、真剣に向き合えない人はある意味、ウチではちょっと可哀想な存在になる。 なぜなら、うちは年功序列じゃなくて、成果主義なので、出来る人にはどんどん重要な仕事が任されていくが、どれだけ年次があっても、能力的に成長してない人には、重要な仕事が任されない。ま、端的に言うと、ぼーっとしてるうちに真剣にやってる後輩にどんどん抜かれていくという事。それに、本人が気づかないで、どんどんどんどん抜かれていく。気が付いた時にはもう何年間も手遅れになってる、、っていうこともある。そして真剣にやることを忘れてしまった人は、仕事の基準が下がってるので、その時の自分で真剣にやってるつもりでも、他の人から見ると、どえらい基準が低いというようなことが起きてしまう、、、 ま、ぶっちゃけ才能のあるなし、地頭の良し悪しなども、もちろんある。けど、結局それも何年間もの積み上げにはかなわない。どれだけ地頭が良くでも、どれだけ才能があっても2年、3年で転々を仕事を変えていたら、何も積み上がらない、本を読んでて、第一章、第二章くらいまで読んだら、他の本に移る、、、なんて事を繰り返してたら、どれだけポテンシャルが良かったとしても、ま、その道で、10年積み上げてきた人間とかには、絶対敵わない。 玉琢かざれば器を成さず と言う言葉がある。これ、おれが高校生の時に、高校の英語教師に言われて心に残ったてる言葉。その頃、おれは全くと言っていいほど勉強してなかった。でも、ある程度はできたんだと思う。そんな不真面目な生徒だったおれに先生が言ってくれた。「そうか。おれは才能をムダにしてるのか」と、思った。(現実的には才能があったかどうかは疑わしいが、そう言ってくれた言葉が励ましになった)それから、自分を「磨かないとな」と思って英語の勉強だけはしてたのを覚えてる。(志望校が決まるまでは、他の教科は勉強しなかったが、どこ受けるにしても出てくるし、とりあえず英語だけはやっとくか、、、みたいなノリだった) 30年近く前の、先生のチラッと言った一言だが、、、おれの人生に大きく影響を与えてくれた。 自分が「玉」だと思うなら、毎日必死に磨き続けないといけない。 いつになっても、目の前の仕事を前回よりも、良いものにするにはどうすればいいか?ってのに終わりはない。これくらいでいいや、と諦めたらそこで終わり。それは仕事を諦めてるんじゃなくて、自分の人生を諦めてるようなもん。