Freedom and Responsibility
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- クライアントは人生かけて商品を創っている。 みんなにとっては、ただの一商品、一コンテンツに過ぎないかも知れない。だけれども、クライアントはそのコンテンツ、情報、知識を生み出すために、どれだけ時間とエネルギーをかけてきたのか?考えたことがあるか?自分が創り出したコンテンツ、は作品と同じ。子供のように愛情を感じるもの。そんな想いを想像したことあるか? 先日、あるクライアントに厳しい注意をもらった。と言うのも、対応があまりにもずさんだと。当該クライアントとのやりとりも雑だし、商品の販売を急いだのか、契約書の締結も、商品の収録、販売後に、ホチキス留めの適当なものを渡されたと。そこそこ売上がたったものの、販売後に見た契約書には固定金額でかなり安いと。(しかもその商品の中身には、許諾のないコンテンツが使われていて、著作権は弊社にありますと) まず、契約書を後から交わすなんてことは、普通はあり得ない。相当な、信頼関係がある仲じゃないとできない。(それでも危ない)相手は、騙されたと思うのが当然で、詐欺で訴えられてもおかしくない。 ま、契約とか、法律とか、そういう問題は最低限の話としてある。とは言え、契約だから、合法だから、社内ルールでOKだから、何でもOKってわけじゃない。 人としてどうなのか?道徳的にどうなのか? ということだ。単純に、仕事相手への気遣いがあるのか?相手の気持ちを考えられているか?という人として常識的なことが、契約やルールよりも、もっともっと大切なことだ。今回の件も、契約書を結ぶのが後だったとしても、内容に相手が完全に合意していて納得済みで、対応もよく気持ちよく仕事ができていれば何の問題もなかったろう。 つまり、何が言いたいかというと、段取りや手違いが悪かったのではなく、人として相手に気遣う、道徳心、モラルの問題だ。 信頼というのは、築くのに何年もかかるけど、崩すのは一瞬だ というのをみんなも聞いた事があると思うけど、この話で良く分かるだろう。このクライアントは、もちろんウチから商品を出したいとは思わなくなるだろうし、「あの会社はこういう対応する最悪な会社」という印象を強く持つだろう。そして、その印象を覆すには、数年は間違いなくかかる。どんな事でも、酷い事をした当人はスグに忘れてしまうが、された方は、絶対に忘れない。最悪は、そのことを周りに忠告するようになる。「いや、あの会社とは付き合わない方がいいよ」と。 みんな個々人の対応は、個人ではなく会社の対応だ。社会的にそうなんだよ。 どれだけ先輩が、良い仕事をして信頼を積み重ねていっても、つまらないことで信頼はジェンガのように一瞬で崩れてしまう。結果、そのクライアントの先に居るはずの多くの顧客、あるいは他のクライアント候補を、失うことになる。 ただ、腹立たしいのは、クライアントを失うとか顧客を失うとか、そういった損害ではなく、、、礼儀や道徳の問題 ウチのクライアントと言えば、ほとんどの人がみんなのお父さんと同じ年代か、それより上の年代だ。もし、おれの父親が、今回のような対応を受けたら、マジで、怒りしか感じない。もし、みんなの父親が、20代の若造に舐めた対応されたら、どんな気持ちになる? どれだけ頭が良くても、礼節や道徳に欠ける人間が、他人に影響を与えられるようになるはずがない。仕事ができてもモラルのない人間からは、どんどん人が離れていく(実際そういう人は、世の中たくさんいる)。顧客でもクライアントでも仕事仲間でもそう。相手に対する敬意や礼節をもった対応ができなければ、どんな関係だろうと、続けたくないと思われる。 この話、「へぇーそんなバカな事をしたやつがいるんだー」と他人事で済ませてないように。誰もがこうなる危険性をはらんでいる。自社の影響力が強くなり、態度が傲慢になり、自分より年上、目上の人に対する礼節を忘れて、ちょっと一歩、踏み外したらみんな同じ失敗を繰り返すだろう。 今、会社の業績はとても調子が良い。こういうときは、本当に緩みがちだから、みんなも気をつけるように! 以下、小学校や幼稚園で習った道徳だと思うが参考までに。孔子、孟子が説いた五常の徳。 五常(仁、義、礼、智、信) 仁:人を思いやること 義:私欲にとらわれず、道義を果たす 礼:敬意をもって人に接すること 智:感情的でなく理知的であること 信:心と言葉、行いを一致させ、信用を守ること ちなみに最後の「信」は、ベーシックスの最初に出てくる「真摯さ」というのとほぼ同じだろうな。仕事は、個人の頭の良さだけではできない。ま、個人事業主くらいにはなれるかも知れない。でも、事業を創って社会に大きな影響を与えるには、仕事は組織で、つまり人と人との関わりの中でやらなければ、何も達成できない。スポーツと一緒で、ロナウジーニョでも1:11だったら高校生にも敵わないよ。その人と人とを結ぶ、つながりの線こそが、信頼であったり信用であったりする。なので、信頼を得られないこと、信頼を失うことは、仕事でも社会でも致命的なことだ。 注意しよう。 自分はできている。と思っている人間が一番あぶないので。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- おれが目指したい理想の会社は、働いているみんなが充実した日々を送って、それぞれがプロの仕事人としての自覚をもって、自分の仕事に誇りを持って、それだけでなく、もっと良い仕事ができるように自己研鑚して、、、自立した、いわゆるプロフェッショナルな人材の集まりにしたいと思っていた。 世の中には、仕組みで稼ぐタイプの会社(誰がやっても同じ結果がでる)と、人で稼ぐタイプの会社があると聞いた時に、、ウチは、人で稼ぐタイプの会社であるし、その方向を突き詰めていきたいなと思った。その割には、仕組み化するとか標準化するとかいう事ばかりやっているように見えるかもしれないが、結局はバランスだと思っているので。仕組みを強くしたら、その強い仕組みを乗り越える人材が出て来てほしいし、人材の能力が強くなったら、その強さを仕組み化できるようにしていく。そういったバランスを崩しながら、保とうとしながら、会社は成長していくんだと思う。 なので、みんな、一人一人が、それぞれの分野でのプロフェッショナルになって欲しいし、プロの仕事人としての自覚を持って欲しい。 でも、最近、なんだかなぁ〜と思うことが、ポツリポツリとある。 例えば、仕事をしていて、、自分がどう評価されるのかをすごく気にしたりしてる人とか、、、自分が成長できるかどうかばかりを気にしている人とか、、 仕事とは、他人のためにするものであって、自分のためにするものではない。 他人のためにする、他人の問題を解決するからこそ、その他人から対価としてのお金をもらえるわけで、自分のために、自分の問題を解決しても、それでお金がもらえることはない。 それなのに、考えの中心を『自己』に置いてる限りは、プロフェッショナルとは言えないし、プロフェッショナルには永遠になれないと思う。技能的な問題じゃない。プロに必要なのは、技能的なものだけじゃない。他人は、つまり顧客は、プロを雇うのに、問題解決を期待しているのであって、その人の技術を期待しているのではない。よくAppleが採用している技術が、最先端最高峰のモノじゃないみたいな話に似ている。顧客の問題解決するために、必要十分な技術を使っているわけで、「ウチはこんなスゴいこともできる」と見せびらかすことに意味はない。昔、昔、大昔は、HP制作会社は、フラッシュムービーとかをHPのトップに入れることで高額な制作費をチャージしていたけど、顧客の何の問題解決にもなってない。結果、そんな業者はどっかに消えてる。(昨今のARの技術とかも似たものを感じる) プロとして、大切なのは、顧客の問題解決をすることであって、それによって、自分がどうなろうが、全く関係ないはず。顧客の問題解決を自分だけで、できなかったら、チームに助けを求めらり、社外に助けを求めたりして、最終、問題解決をやり切るのがプロフェッショナルというもの。 なので、自分の成長や自分の評価ばかりを気にする人は、実は成長や評価から最も遠い人たちになる。プロ意識が欠落しているので。 なんでかなぁ〜と思うのは、そういう『自分の成長』や『自分の評価』を過度に気にする人が、昔より、ポツポツ目立って来てるような感じがするからだ。これは、おれが出したメッセージに間違いがあったのかもしれない。 会社は学校じゃないし、顧客は実験をさせてくれてるワケじゃない。もし、会社が学校で、顧客は実験させてくれてるならば、逆にお金を払わないといけない。大学だって予備校だってセミナーだって研修だって、生徒が対価を支払っている。 もしかしたら単純に、平均年齢が若いってだけかもしれない。若い時は、誰だって、自分の事で頭がいっぱいなもの。なので、自分の事が気になって仕方ないんだろう。他人からの評価という承認欲求が人一倍強いのも、若い人だしね。それが、いろんな知識を増やすにつれ、自分が一人で生きてるんじゃなくて、いろんな人に支えてもらって生きてるんだなって事が実感できてくると、、、他人のことへ焦点が向かうのかもしれない。(子供ができると自分の事より子供の事が優先になったりするし) ダラダラと書いてしまったが、みんな、ベーシックスにもある、『プロフェッショナル』ってのは何か、、何を気にして、何を気にしないのか?ってのをあたらめて考えてみてほしい。プロフェッショナルとは何か? プロとして求められるのは、自身の成長ではなく、依頼してきた顧客の問題解決。そして、難しい問題、要求を何度も解決していくうちに、自分自身は自然と成長しているもの。 誰のための仕事か? 己のための仕事じゃない。 誰のための仕事か? それを思い描いて、その人のためにできる限りの仕事をしよう。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- ベーシックスには、『真摯さ』という言葉がある。これが一番最初に来てるわけだけど、そもそもこれ、どういう意味か、難しい言葉でもある。ま、基本的には、誠実さとか嘘をつかないとか、もちろんそういう意味はある。だけども、それを『誠実さ』『正直』という言葉にしてないのは、ちょっと自分で考えてほしいって意味もあるんだ。 で、真摯さってのは、ウソつかないとかそういうだけじゃなく、仕事に対して、ひたむきに、真剣に向き合うという意味もあり、その意味合いの方が普段は強いと思う。 個人的におれは、仕事してて一番腹が立つときは、部下が仕事ができない時や、ミスをした時ではない。誰だってミスはするし、能力や技術が未熟な時は、十分な貢献ができない。それは誰にでも当然のこと。でも、そうじゃなくて、やろうと思えばできるのに、その仕事を『真剣に仕事をやってない』のを見た時、正直言って無性に腹が立つ。 どれだけ技能が高くても、どれだけ経験があったとしても、目の前の1つの仕事に対して、いい加減な仕事をあげてくると、めちゃめちゃ腹が立つし、この人に任せてもムダかな、とか、なんなら一緒に仕事をしたくないな、、くらいのレベルまで思う。一方で、どれだけ技術が未熟だったとしても、その人の範囲の中で精一杯やってくる、、、それなら何とも思わないし、いろいろ教えたくもなるし、応援したくもなる。 だって、技能が未熟だって、本人にできる範囲を本人が全力でやって、残りは先輩とか、他のメンバーがカバーしてあげればいい訳だし、仕事ってそういうもんだからね。そして、そういう仕事を続けていれば、その人はきっと何年か後には素晴らしい技術を身につけていい人材に育ってる。間違いない。 何年か経験を積んで、仕事がある程度できるようになったとしても、いい加減な仕事をしてたり、手を抜いてたりしたら、それ以上には伸びない。どんなに簡単な仕事でも、「少しでも前回よりも良くしよう」と思って全力で取り組むこともできるし、「まぁ、いつもやってるからこれくらいでいいだろう」とすることもできる。 だけども、言っておきたいのは、後者のような仕事ぶりだと、何年やったとしても、何回やったとしても、全く成長には繋がらない。当たり前だわ。まさか、何回も同じ事やれば、年数が経過すれば、自動的に技術や能力が伸びると思ってないよね? 筋トレと同じで2キロのダンベルを何回か上げたところで、それ以上の筋力はついていかない。筋力をつけるには、自分がもうしんどい…と思まで負荷をかけないといけない。そして終わった後にはクタクタになって、、そして休息と共に筋肉は増強する。仕事も同じで、「もうしんどい」と思うレベルまで、真剣に一つ一つの仕事に向き合わないと能力や技術も、伸びていかない。 だから仕事に対して真摯じゃない、真摯に向き合ってない人は、残念ながら、何年やろうがたいして成長しない。一方で、一つ一つの仕事に真摯に向き合ってる人間はあっという間に成長していく。同じ時間を過ごしていたとしても、内容が全然違うんだよね。 時間をたくさんやればいいってもんじゃない。量をこなせば成長すると思ってるだろうが、それだけじゃダメだよ。ひとつひとつの仕事に集中して、精一杯やって、工夫して、そして終わった後には、振り返って、何が良かった何がダメだったかを記録する。そして、その経験を次の仕事に生かしていく。そういった繰り返しをしないと、漫然と、何回やっても何年やっても結局同じところにいるだけだからね。 仕事に真摯に向き合えない人、真剣に向き合えない人はある意味、ウチではちょっと可哀想な存在になる。 なぜなら、うちは年功序列じゃなくて、成果主義なので、出来る人にはどんどん重要な仕事が任されていくが、どれだけ年次があっても、能力的に成長してない人には、重要な仕事が任されない。ま、端的に言うと、ぼーっとしてるうちに真剣にやってる後輩にどんどん抜かれていくという事。それに、本人が気づかないで、どんどんどんどん抜かれていく。気が付いた時にはもう何年間も手遅れになってる、、っていうこともある。そして真剣にやることを忘れてしまった人は、仕事の基準が下がってるので、その時の自分で真剣にやってるつもりでも、他の人から見ると、どえらい基準が低いというようなことが起きてしまう、、、 ま、ぶっちゃけ才能のあるなし、地頭の良し悪しなども、もちろんある。けど、結局それも何年間もの積み上げにはかなわない。どれだけ地頭が良くでも、どれだけ才能があっても2年、3年で転々を仕事を変えていたら、何も積み上がらない、本を読んでて、第一章、第二章くらいまで読んだら、他の本に移る、、、なんて事を繰り返してたら、どれだけポテンシャルが良かったとしても、ま、その道で、10年積み上げてきた人間とかには、絶対敵わない。 玉琢かざれば器を成さず と言う言葉がある。これ、おれが高校生の時に、高校の英語教師に言われて心に残ったてる言葉。その頃、おれは全くと言っていいほど勉強してなかった。でも、ある程度はできたんだと思う。そんな不真面目な生徒だったおれに先生が言ってくれた。「そうか。おれは才能をムダにしてるのか」と、思った。(現実的には才能があったかどうかは疑わしいが、そう言ってくれた言葉が励ましになった)それから、自分を「磨かないとな」と思って英語の勉強だけはしてたのを覚えてる。(志望校が決まるまでは、他の教科は勉強しなかったが、どこ受けるにしても出てくるし、とりあえず英語だけはやっとくか、、、みたいなノリだった) 30年近く前の、先生のチラッと言った一言だが、、、おれの人生に大きく影響を与えてくれた。 自分が「玉」だと思うなら、毎日必死に磨き続けないといけない。 いつになっても、目の前の仕事を前回よりも、良いものにするにはどうすればいいか?ってのに終わりはない。これくらいでいいや、と諦めたらそこで終わり。それは仕事を諦めてるんじゃなくて、自分の人生を諦めてるようなもん。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- 顧客を見て仕事をしよう!って言ったら当たり前だと思うかも知れない。だけども、ホントに顧客を見て仕事をできてる人はそんなに多くないんじゃないかと思う今日このごろ。 ちょっと前の評価会議なんかでもそうだった。あるマネージャーが、すごく良い部下がいるので昇進させるのはどうか?と聞いてきた。が、その人の事を周りが高く評価している話はあまり聞いた事がない。おかしいなと思ってヒアリングすると、その彼は、上司を見て仕事をしている。なので、上司からの評価はすこぶる高い。一方で、まわりからの評価が高くないのは、その人が明らかに、上司を見て仕事をしているのが分かるからだ。 評価が高い人は、顧客を見て仕事をしてるんだよね。そして、評価が分かれる人ってのは、ホントの意味で顧客を見ていない。もちろん、ほとんどの人は、目の前の仕事を一生懸命がんばってる。これは言える。ただ、そんな中でも、、評価が分かれるのは、一生懸命さが、顧客ではない方を向いているから、分かれたりするんだよね。 ここが少し、難しいところなんだけど。 エンドユーザーに対して仕事をしている時は、エンドユーザー=顧客なので、その相手に、どうやって貢献するかってのを簡単に考えることができる。ところが、仕事ってのは、いつもエンドユーザーに対してだけするものではない。大抵の仕事ってのは、チーム、組織で分担してやるもの。なので、自分のタスクがエンドユーザーに直接届かない、直接、評価されないなんてことも多々ある。その場合、誰が顧客なのか?と言う事を考える必要がある。 自分の仕事は、誰のための仕事なのか? それを、マジで考えると、視座が一気にあがるし、仕事に対する姿勢や優先順位付けも変わる。これをしっかり考えてないと、単純に「目標設定したから、、、」とか「上司に評価されるから、、、」とかいう軸で、判断してしまいがち。 もちろん、それはそれで間違いではないし、それに対して、一生懸命仕事するのは、ま、ふつーで考えれば、良いことだとは思う。だけど、もっと良い仕事をするためには、『ホントはこの仕事は誰のためにやってんだ?』『誰の役に立つんだ?』って事を考えないといけない。 例えば、アシスタント業務をするのは、誰のためにやるのか?誰の役に立っているのか?だいたい、みんな最初は、アシスタント業務をやると思うけど、複雑だし大変だし、設定だし、、、と思うかもしれない。でも、その仕事は、誰の役にたっているのか?もちろん、自分より専門技能が高い人(大抵、先輩社員)が、その専門技術を活かして、より大きな成果を出すためだろう。その先輩の役に立つ、手助けをすることによって、その人も、その大きな成果の一部に貢献しているということになる。仕事ってのは、そういうもの。 ところが、顧客の事、顧客に役立つことではなくて、自分の事ばかり考えているとどうなるか?自分のスキルアップをしたいがために、こんな業務はやりたくない、、、みたいな事を言い出すことになる。 もちろん、自分自身が仕事の技能を上げることは、とっっても大切なことは間違いない。でも、自分の仕事が誰の役に立っているのか?どんな貢献ができるのか?そういった視点の欠けている人間がどれだけ擬能を上げても、大した仕事はできない。よくよく考えて見て。ソニーとかシャープとかに居る技術者は、めちゃめちゃ技能があるのは間違いないっしょ?だけども、顧客を見て仕事をしていないから、ここ数十年、負けっぱなしよね?同じことなんよ。おれらも。みんなも。顧客が見えなくなったら、どれだけ技能が上がっても、成果は上がらない。 誰が顧客なの? 誰の役に立つの? 例えば、おれがマーケ部門で、スクールの講師をする時、顧客は明らかに、エンドユーザー、外部のお客さん。商品製作をする時、そこで貢献できるのは、お客さん。広告を作るとき、セールスビデオを撮るとき、全部、顧客は、お客さん。これは分かりやすい。 だけど、一方で例えば、おれが経営者として、会社の問題に取り組む時、ビジネスガイドを作る時、制度を改める時、、、顧客は誰だと思う?そりゃ、もちろんエンドユーザー、お客さんじゃないよね。顧客はもちろん、この会社で命運を共にしている社員、従業員、つまりは、みんなって事になる。ポジションとしては、もちろん社長ではあるけど、顧客は、社員になる。だから、社員の評価が低ければ、社長、経営者としての仕事ができてないってことになる。経営者の仕事は、商品サービスを作って、顧客に販売してその価値で貢献すると言うよりも、、、社員が楽しく働けて、技能を伸ばせて、その技能でもって良い商品を創って、良いマーケティングで販売して、貢献できるようにする、、、という事の方が大きい。 つまり、みんなも、コンテキスト(状況・立場・役割)によって、誰が顧客か?と言うのは、変わるもんなんだってこと。そして、その立場、立場、状況、状況、仕事の一つ一つにおいて、顧客が誰なのか?誰の役に立つべきなのか?ということを考えられるようにしよう。ずっと、考えていると、それが自然な、価値観とも入れるレベルにまで昇華していくよ。 そうすると、彼は視点が良い、視座が高いというような感じになる。 ・上司が顧客の時もある。 ・先輩社員が顧客の時もある。 ・他部門の人が顧客の時もある。 ・エンドユーザーであるお客さんが顧客の時もある。 ・あるいは、部下が顧客の時もある。 顧客に貢献していない目標をいくら達成しても、影響力は大きくならない。自己満で終わる可能性もある。 なので、何か、おかしいな、、と思ったら、立ち止まって考えよう。 自分の顧客は誰なのか? この仕事は、誰の役に立っているのか?
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- ウチはベーシックスに「事実をもとに判断する」とある。それに従って、みんなには、事実を基に、自分の頭で考える、という習慣をつけてほしいと思う。今回のコロナの騒ぎで、いかに人は自分で考えずに、人の意見や噂をもとに行動するかってのがわかると思う。そして、自分で考えているつもりでも、噂や心象をベースに考えていて、事実やデータをもとには考えてないということが多い。ウチで働くみんなだって同じだ。 例えばある人は「大阪では感染者が多いから、ウチで働く社員でも半分くらいは潜在感染者じゃないか」みたいな話をしていた。多分、ほとんどの人は、こんなふうに物事を考えるけど、これは、事実をもとに考えてるとは言えない。 <感染者が多い> というのは、事実じゃなくて、心象に過ぎない。 事実は大阪で感染確認されたのは、2,915人。うち2,080人が、療養解除されてるので、現状は、835人が感染してる。これが事実やデータ。これを基に考えると、大阪の人口が800万人なので大体、現状、1万人に1人くらいってことになる。これを多いと思うか、少ないと思うかは、その人の主観による。 ちなみにだけど、大阪でPCR検査した人は累計で6万635人らしい。その結果、陽性になったのが2915人だから、検査した人のうち4.8%が陽性だったってことになる。これを多いと思うか少ないと思うかは、その人の主観による。 ※ちなみにこれは、全国の平均ともほぼ一致する。 感染29,596人/PCR検査611,467人=4.8% 恐らく、これらの数字は、ほとんどの人が抱いている心象とは違うんじゃないかと思う。ま、どう思うかは、個人個人次第なので、どうでもいい話だが、、 ※ちなみにオレ個人の主観では、検査をするのは症状が出たり疑いがある人がほとんどだろうから、そこからの陽性率が5%って、めっちゃ少ないやん!とは思ってる、、、が、ま、個人の主観。 ーーーーー コロナの話はどうでもいい。大切なのは、こう言ったデータや事実をベースに物事を考えていく習慣が必要だということ。そうじゃないと、対策を間違える。間違えた対策をすると、良かれと思って一生懸命やっているのに、全力で破壊する、、、なんてことが起きる。てか、しょっちゅう起きてる 例えば、Aの売上が下がっている、、、というのは、考えられているようであまり考えられていない。「下がっている」というのは、何かと比較してこそ言えるようなことだから、その比較対象がないかぎり、Aの売上が下がっていると言うのは、大抵、その人のイメージであったりする。ま、こういったケース、大抵は、この半年1年の平均値と比べて、下がっているというケースがほとんど。自明だから、あえて比較対象を言ってないというだけだと思うが、これが「考える」という行為をするときには、その自明なものを省略してはいけない。じゃないと、事実ベースではなく、その人のイメージ、印象ベースで考えが進むことになるからね。 そして、イメージと事実データが食い違うってことは、日常茶飯事。だから、普段の雑談しているような時には、こんな会話でもいいと思うが、何か施策を決めないと行けないときにも、雑談レベルと同じような思考パターンを繰り返していてはいけない。 自分の頭で考えるってのは、極論、批判的になることだと思う。だいたいこうだよなって、みんなが思うような、主論に対して、「ほんまかいな」といった批判的精神を持つ事から始まる。んで、本当かどうか、調べてみよう、、、という事で、事実やデータを探っていくことから考えるという事が始まる。 だから、優秀なマネージャーは、部下の報告を鵜呑みにはしない。レポートを見て、考えが、事実に基づいているかどうかを自分の目で確認して、判断する。レポートがない場合は、その人にヒアリングする。(大抵、ヒアリングされてる最中に、部下は自分の間違いに気づくもの) 大抵の報告や情報は、その人の主観でできている事が多いんだよね。 もちろん、全部が全部、世の中のありとあらゆる事に批判的になっていたらキリがない。自分たちは、そんなに暇じゃないし、時間も余っていない。だから、自分たちが大切だと思っていないところは、別にいいと思う。が、事業上の重要な判断に関わるような時とかは気をつけた方がいい。それから、今回のコロナ禍のように、大衆が一方向に熱狂しているときも、気をつけた方がいい。だいたい間違ってる。(東日本大震災の時も似たような感じだった) みんなが同意しているときに、自分だけ批判的になったりすると、村八分感を感じるかもしれない。たくさんの人に好かれはしないが、そういう人は、重要な人物であるのは間違いない。 みんなには、好かれる人物よりも、重要な役割を果たす人物になってほしい。
———————————————————————————————- このコンテンツはダイレクト出版の社員に向けて書かれたものです。 ———————————————————————————————- 「売り上げを上げたいなー」 ある部門で売れてる講座の一つが、最近になってとっても売れ筋になってきてる。んで、会議でたまたま、売れてるから値段上げたいなーなんて話が出た。 ま、その気持ちは分かるんだけど、それには反対した。確かに値上げをしたら、今月の売上はあがるだろう。でも、その後はどうなる?来年は?再来年は?現状は、販売方法がZoom体験セミナーという方法で販売しているんだけど、そういう対面の売り方だけやってれば、値段が上がっても問題ないだろうが、他の販売方法に展開してみようとしたとき、その値段がネックで展開できないなんて事にもなる。 コンテンツってのは、時間と共に価値が下がっていくのが普通なので、上げた価格は、もしかしたらその商品寿命を短くするかもしれない。価格決定ってのは、かなり難しい判断なのだ。 実際、過去のイノベーションの事例を見てみれば、大抵、提供コストを下げて価格を下げる、そして一気に市場を広げるという事がほとんど。※詳しくはシンプリファイというウチの本に 価格を上げて市場を広げたという話は、オレの知る限りではほとんどない。劇的に手に入りやすくなったために、使う人がめちゃめちゃ増えて、一大市場ができた、、、というのがほとんどのケース。そしてこの講座の内容ってのは、ほぼ全ての事業主がやるような事なので、そこにリーチできればもの凄く大きく広がる。価格を上げる事で、その広がりを自ら止めて、ライバルの参入を許して、意識レベルの高いお客さんだけしか取れない、、、なんて事になりかねない、、、 なので、価格を考える時は、いろんな事を、多面的に考えないといけないよ、、、という話をしたところ….. と言う話なんだけど、これって、何の話かというと、モノゴトは多面的に見ないといけないよって話。 ウチのベーシックスには「事実を元に判断する」というのがあるけど、特に若手にはこれを気をつけて欲しいと思う。若い人ほど、視点が、断片的、局所的、部分的になりがちで、全体を見て判断するということがあんまりないように感じる(今に限った話ではなく、昔から) 例えば、4,5年前にあった話。Aさんが上司Cさんに対して不満を持っていた。Aさんと親しかった同僚のBさんは、Aさんの話を聞いて、「あの上司には問題がある」と言う。Bさんは、Aさんの一方的な話しか聞いてない、それで判断する。人間だれだって、自分の都合の良いように出来事を解釈しているので、Aさんが言う事は、絶対にAさんが正しいというような内容がほとんど。相手方の話を聞いたら、180°違う、、、なんてケースも多々ある。 でもそれは見ずに、Bさんが。問題視する、、、みたいな、、、 まてまてと(笑)あらためて言うが、事実を元に判断する、、、の事実を見極める力が弱いと、話にならん。誰かが言ってた(特に本人)とかは事実ではない、その人の解釈でしかない。 モノゴトを正しく判断するためには、断片的な事実ではなく、局所的な話ではなく、きちんと全体を見て判断しないといけない。歳を取ってくると、だいたいそういう事が分かってくるので、誰かから何かを聞いても、そのまま鵜呑みにすることはなく、大切な事なら各所に確認するし、そうでないことなら、そう思ってるんだな、、くらいにとどめておく。 断片的な情報で、判断することはない。 人と人との問題でもそうだし、部門の経営判断とかでもそう。断片的な情報、断片的な事実だけで判断してはいけない。上記の価格の話とかでもそう。短期的に見ればそれは正しい。でも、長期的に見たら、それは本当に正しいのか?あるいは、広告なんかでも、数字が良い方にどんどん流れていく傾向があるけど、その広告は事業としてそれで良いのか?という視点を持たなければ、どんどん変な広告になったり、顧客にならない人を集めてたり、、、となりかねない。数字だけで判断するなら、それは数字に反応しているだけで頭脳なんか要らないっしょ。AIの方がマシだ。 事実を元に判断する その時に大切なのは、事実を見極める力をもつこと。断片的な事実・情報でないことを確認すること。そして、判断は、部分的でなく全体の視点も含めて判断すること。 なんとなく、最近思った。
仁井田紀之
From:仁井田紀之 採用担当4月。新年度ですね。(もう2週間経っちゃいましたがw)個人的には、部活…
仁井田紀之
こんにちは。仁井田です。今日は堺筋スタバで鼻血が出ました。鼻にティッシュを詰めた記念写真も撮ったんで…
岡田 龍一郎
導入化粧水とクレンジングオイル、どっちがうるおいをもたらしたのか?From:岡田 龍一郎@心斎橋のス…
岡田 龍一郎
これは僕のイメージFrom:岡田 龍一郎「面接めちゃくちゃ喋ったし盛り上がったのに、落とされた…」と…
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もしあなたが、就活に限らず、新しい挑戦に対して不安を感じやすいタイプなら、きっと僕の話が参考になると…
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From:心斎橋のスタバより2019年6月も終わりに近づいている。老け顔だが一応新卒の僕にとっては新…
あいつ頑張ってるから俺も負けてられないなっていう、いい競争があるなと思って。
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